in Japan


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Japan's flag
Asia » Japan » Tokyo
July 10th 2009
Published: December 25th 2009
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日本語あり、文のread more をクリック後View Full Entryをクリック!I would like to tell you how hospitals are different between USA and Japan.
I stayed with 4 other old women in the same room. The room separate with curtain each night. there food is allmost same to other petients. not exciting to me. very tradtional Japanese food. also they schedule the eatting time . sleep and weak up time,too. I feels like jail.

I could not turn bymyself from side to side in my bed. So I could not see the TV. Just, I was hearing radio. I could not use mobile phone.

I was meeting my parent in Tokyo, I have not see them 3 years very nice to see them again. but I was busy and tired the time So could not have much emotion and cry.

3年ぶりの日本そして両親との再会、感動っとおもいきりゃ以外にもバタバタのまま、涙すらでず。2日後には、東京から父は家へ帰り、親戚も居ない東京からは、母も1~2週間くらいで帰るかも?!えっ!私顔見せに帰ってきただけなん?ショックで?北米へのホームシックで?たぶんその両方でマジ泣き!だって、向こうで もしかしたら、足長おじさん的なものが見つかれば、無料でリハビリできたかも? リハビリは向こうのほうが進んでるしね。それを 心配で食事も喉を通らないし、会いに行くにも英語もわからんし体力的にも10時間以上の飛行機は無理っという親の話を聞き、帰ろうと決心したのに、まさに あれっ!て感じ。年をとってチグハグな親に 
 ストレスをぶつけてました。結局母はユースホステルに泊まり一ヵ月半 献身的に看護に毎日通ってくれました。なのに素直じゃない親不孝な娘でした。そして自己嫌悪。事故にあって体に障害をもち、心の病になる人も多い中、私は母親との関係に悩み、自分の体のことを悲しんだり泣いたりすり事はく。。。。絶対治らないっとはっきり言う人居なかったため、あんまり現実を把握してない部分は多い。
でもまあ、熱心なリハビリの先生といっしょに 今出来ることを自分なりに一生懸命頑張っていました。だから色々気を失いそうになったり、肩が腱鞘炎になったり、亜脱臼したりしながらも、色々な事が出来るように なっていきました。

始めは、寝返りすら自分できず、(最悪床ずれできてそこから皮膚が腐りしんでしまうので)3時間おきにもしくはその前にでも寝返りを打たせてもらっていましたが。リハビリでの練習の末できるようになりました。たかが寝返り?!これが、始めどこに力入れたらいいんだか、まだ神経がつながりきってない筋肉も多くて、コツをつかめば以外に簡単?でも始めはもがき苦しみうーんっと声が出るほど頑張ってました。
その時水を飲みまくる私に、作業療法士の先生が手作りで長いストロー付の水筒?を作ってくれました。しかも寝たまま携帯でメールが打てる様にも工夫してくれ、感謝感激でした。

寝たきりから、足を下げて座る(血液が内蔵やあしにに行かないように腹帯をきつくまき、足にもきついタイツに包帯みたいなのを巻き巻)だけで、頸損のせいで 血圧が下がり耳鳴りが~ってところから、始めは血圧の上下に気を失いそうになったり、倒れそうになったりしながら、やがては立ち上がり少し平行棒を持ち歩けるように!

 左手は初めナースコールさえ押せない、(はじめ一番動きのいい左足で特製ナースコールを押してました)腕肩も全然動かなかったのに ナースコールが押せるようになり携帯でメールがうてるようになり、PSBっというものをつければ、パソコンのキーボードまで押せるように!ただし病室でインターネットが繋がらなかったので、ちょっと残念。右手はあっ!ちょっと今指が少し動いた?ってほど

まだまだ、回復の途中でした、でも突然波打つように調子悪くなったり



そして忘れてはならないのは、5年ぶりに再会した弟、仕事を休み妻子を日本に残し 英語も話せないながらも 私をアメリカまで迎えに来てくれ 寝る暇もなく 飛行機の支払い問題も コロラドの領事館の人たちと協力し 乗り切り!手も使えない寝たきりの私とアメリカ人の看護士と一緒に日本までつきそい次の日 大阪で仕事あるので帰っていった。頼りになりました。もちろん 領事館の人達 偶然出会うことになった むこうで日本語を教えている 日本人の先生にもすごく色々良くしてもらい 感謝の言葉もみつかりません。

ワイオミ州からはチャーター機でロスへ飛び、そこからJALで東京まで眠剤を飲みながら、寝たまま移動の長旅でした。

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